1年ぶりのKiyuu’s Salon、今回はお二人でのご登場です。
正派西川流の名取師範として、現在は滋賀県でお教室を持ち、門下生のご指導をされている西川玉洲(にしかわ ぎょくしゅう)さんと、東京都ご出身で邦楽囃子方としてご活躍、また様々な所で後進の指導も行っている望月美沙輔(もちづき みさほ)さんです。


(左が西川玉洲さん  右が望月美沙輔さん)
なんとお二人は大学の同級生で20年来のご友人。昨年は、10月の京都での舞踊会、また12月の靖国神社での奉納舞でも共演されております。
お二人の仲の良さが伺える、とても素敵なお話をどうぞお楽しみください。

芸大の同級生

喜優:久しぶりのKiyuu’s salon になりますが、ちょうど新年の幕開けにふさわしいお二人ですね。(玉洲さんは滋賀県で)なかなかお会いできないですし。

玉洲美沙輔:嬉しいです。よろしくお願い致します。

編集:お二人は東京芸術大学の同級生で、同じ邦楽科だったそうですね。

美沙輔:そうなんですよ。邦楽科の中に日本舞踊もあるし、雅楽や能楽、お琴など全部ありました。

玉洲:自分の専門の他に、また共通の理論とかの必修科目なんかもありましたね。
私たちの時は(邦楽科の定員)33名で、今は少し減っているみたいですけど。

編集:芸大へは自分が行きたいと思って行ったんですか?それとも親御さんから勧められたのでしょうか?

美沙輔:私は全然行く気がなかったです。芸は学校で習うものじゃないという教えもありましたし、芸大には行かずにそのまま現場に出ると思っていたんですけど、私が高2ぐらいの時に、先生からこれから仕事が減っていくかもしれないと。昔は縦の繋がりで使っていただくことが多かったけど、横のつながりを作るためにも芸大は行っておいたらと言っていただいて行くことにしました。だから自分の意思は最初なかったんですけど、結果行って良かったです。

喜優:玉洲さんはどうだったんですか?

玉洲:母が見つけてきたんですよ。邦楽科は古くからあるんですけど、その時は日本舞踊科がまだ新しく出来たばかりの時で、私は5期生だったんですけど。

編集:そうだったんですか?日本舞踊がわりと新しめとは意外です。

玉洲:そう、日本舞踊はなかったんです。要は「音楽科」ではないから。でも邦楽は地方さんとか日本舞踊と合わせてやることが多いので作られたみたいです。

喜優:日大の芸術学部には日本舞踊科あったのよね。芸大にはなかった。

玉洲:それで母から芸大のこと聞いても、あんまりピンとこなくて。当時私の周りでは踊りをやってる人で若い同じ世代がいなかったんですよ。それで芸祭ていう芸大の文化祭があるんですけど、それを見に行った時に「こんなに同じぐらいの世代の子がいるんだ」とちょっと触発されました。

編集:お二人は出会ってすぐ仲良くなったんですか?

美沙輔:出席番号が近くて、すぐ仲良くなったね。でも二人とも最初は志が低くてね(笑)芸大はやっぱり志が高い人が多くて、そもそも芸大自体に憧れを持ってたり、先生の名前をすごく知ってたりとか。

玉洲:周りは芸大の先生に付いて教わってる、みたいなのが主だったけど、私たちはそうじゃなかったからね。二人とも温度感が周りと違ったから、仲良くなったのかもしれない(笑)

美沙輔:でもそういう意識が高い人たちのおかげで、私も頑張ろうって大学3年生ぐらいから思いだしましたけどね(笑)

玉洲:そして卒業して20年後の今「芸大入って良かったね」って言えることに気づいたね(笑)

 

始めたきっかけ

編集:では遡りまして、日本舞踊やお笛を始められたきっかけを教えてください。

玉洲:私はもう母()のお腹の中にいるときからですかね。生まれてからは母がお稽古の時にはお座布団の上に寝かせられてたようで、実際踊りを始めたのは3歳くらいからなんですけど、もうやるのが当たり前というか。やらされてるとか一切なくて。お稽古場に行くとすごいニコニコして踊ってたみたいです。

(※玉洲さんのお母さまは、同じく西川流お名取師範の西川喜扇さん。当時は喜優先生のお母さまの西川喜代枝先生が長野まで出張稽古をされていました)

編集:それは良かったですね。嫌になった事とかはなかったんでしょうか?

玉洲:子供の頃はなかったんですよ、すっごい楽しくて。でも家では練習しなかったんですけど(笑)バイオリンとかピアノもやってたんですけど、それは結構気合入れてやらなくちゃいけなかったりして。でも踊りだけは喜代枝先生がスッゴイ褒めてくださったので、ニコニコして踊ってて「本当に踊りが好きなのね」って言っていただいてました。

喜優:母はおおらかな人だったから。

玉洲:信州のお稽古場で育てていただきました。

編集:お稽古の頻度はどれくらいだったんですか?

玉洲:喜代枝先生が東京から信州に月に1度、1週間来てくださって、そこでまとめて毎日お稽古でしたね。だから学校帰りに着物を持っていってお稽古していただいてました。
(※現在、この信州へのお稽古は喜優先生が引き継がれております)

編集:その後芸大を卒業、そしてご結婚、ご出産されてまた再開されるまで、ブランクはどのくらいあったのでしょうか?

玉洲:10年以上ありましたかね。でもちょこちょこ母と踊ったりとかしてたんですけど、ちゃんとお稽古はしてなくて。

編集:子育てしてたら大変ですよね。でもやっぱ踊りたいなって気持ちがありましたか?

玉洲:何かね、急になんですよね。子供は3人いて、一番上の長男が今15歳なんですけど、生まれたときはまだ東京にいたので、それこそおんぶしながら喜優先生のご自宅へお稽古行ってましたね。

喜優:それで滋賀の方に帰ることになって、お稽古できなくなってしまってね。

玉洲:もう1回やろうってなんで思ったかって言うと、やっぱり子供の習い事を何させようかって考えた時に、周りの話を聞くと、バレエとかピアノとかで、日本のものをやってる子が本当にいないですよね。ちょっと勿体ないなと思って。私自身も生活の中で、日本の文化に触れることがなくなってきてるなと感じたんです。それで子育ても一段落したので、自分で何が一番できるかなと思ったら日本舞踊しかないなと思って。

喜優:今またお稽古時間も取れて、ブランクがあったけどまたパッと振りが出来るっていうのは、小さい頃から継続してやってきたからだと思うのね。またお子さんや日本文化の事ととか、なんとなくという感じじゃなく本当にそう思って動いたから、お弟子さんもついたんだと思う。

編集:今、お弟子さんは何人いらっしゃるんですか?

玉洲:10人です。

編集:素晴らしいですね。昨年10月の京都で皆さんにお会いできて、私も嬉しかったです。

 

喜優:美沙輔さんのお弟子さんがお笛を始めるきっかけって、どんなことなのでしょうか?

美沙輔:皆さんお祭りが好きで祭囃子を聞いて、という方が多いですね。それで入り口として、笛が一番入りやすいみたいなんですよね。男性も女性もいて、6歳から85歳まで、いろんな年代の方がいます。
私自身は、6歳の手習いで親から好きなことをしなさいと言われて。元々時代劇とか日本のものがすごい好きで、お祭りがすごい好きだったんです。それでお祭りの笛をやりたいって言ったらしいんですよね。それはどうやら「お神楽」の笛ということはわかったんですが、そこでは教えてはいないと。それ以上は親もどこで聞いたらいいかもわからなかったようで、それでたまたま新聞に、今のお師匠さんが載っていてそれで習い始めました。

編集:そうなんですね。てっきり親御さんがやってらっしゃったのかと思ってました。

美沙輔:家族全員、全く笛のことは知らなくて。でも実際に習うまで3件くらい断られたみたいです。6歳はまだ肺が出来上がってないからと。あと笛は長さがあるから、もうちょっと手が届くようになってから来てくださいとか。
でもウチの先生は「全然大丈夫、やってみよう」な感じで短い笛で始めさせてくれました。それで最初は出稽古に来てくださるということだったんですけど、人数は3人は揃えてほしいと。それで祖母と母と私の3人で始めたんですよ。

全員:へえー!

編集:やりたいっと思った時に始められて良かったですね。

美沙輔:親もね、できないと言われて諦めてたらやってなかったですね。

編集:素人はお笛や尺八などはまず音が出ない、と聞いたことがあるんですが、最初はどうでしたか?

美沙輔:それが出たんですよ。楽しかったですね。

編集:わーやっぱり才能があったんですね!でも大体の方はやっぱり最初から出ないものですよね。

美沙輔:出ない方が多いかもしれない。子供で何にも考えてないとわりと出たりするかもしれないです。人によりますけどね。フルートとほとんど一緒なので、フルート吹ける人は口の形さえ安定していれば篠笛も吹けますね。

編集:自分の好きで始まって、ご家族も理解があって、それをずっと続けてらっしゃるってすごいですよね。

美沙輔:でも私は辞めたい時期があったんですよ。中学の時からお仕事させてもらってたんですけど、現場に連れていかれて、大人の中に入れられてどう振るまっていいかわからないじゃないですか。笛って一人ぼっちなんですよ。踊りもそうだと思うんですけど、お囃子の中でも鼓とか太鼓とか皆さんお仲間がいるんですよね。だからもう嫌でしょうがなくて、それが大学生まで続いたんですよ。もう辞めてやる、辞めてやるって。だから芸大に入って、同じ年頃のそれこそ志高い人達がいて「みんなやりたくてやってるんだ」と気づきました(笑)

喜優:お仲間を望んでたのね。

美沙輔:それでさらに気づいたんですよね。当時はちゃんと子供が行ってもおかしくない所に行かせてもらっていただけで、後に本当の仕事場に呼んでいただいた時に、上の方達がすごいカッコ良かったんです。すごい上手だし面白いし、楽しそうに仕事していて。ここに行きたいと思いましたね。そこで完全に考えが変わりました。

【前編 終わり】


お話が最初から大いに盛り上がり、あっという間の楽しい時間でした。同級生と今も同じ舞台に上がり、またこうして楽しくお話できる仲はとても素敵で羨ましく思います。後編は舞台のお話や、それぞれの熱い想いなど語っていただいております。どうぞお楽しみに。
後編はこちら

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