第3回目は、新春スペシャルゲストとして喜優先生のご友人である 荒井弥栄さんです。
元JALの国際線ファーストクラスのCA、難関大学受験校講師・校長、エグゼクティブに特化した英語を含むトレーニングと、英会話レッスンの株式会社オフィスグレース設立、MBA取得後、海外ビジネススクール留学後中小企業コンサルタントも開始、現在は大学で教鞭も執られており、著書も多数出版されております。
茶道歴は7年(裏千家)、日本舞踊は始めて2年とのことですが、もうだいぶ前から習われてるのでは?と思うくらいお話が豊富でした。
起業家、経営コンサルト、大学講師など幅広い視点で、喜優先生との出会いから、なぜ英語が話せるようになったか、着物についてなど語っていただきました。普通ではなかなか聞けないエピソードや考え方が伺えました。
どうぞお楽しみください。
出会い〜経歴(英語・CA時代・起業)
喜優:弥栄さんとの出会いは、雑誌「美しいキモノ」に掲載された、2016年の京都きもの市場さんの企画の座談会でしたね。
2017年春号掲載
弥栄:幅広い年代で4名でしたよね。私たちの年齢は近かったけれど。
喜優:部屋にいたら、弥栄さんから話しかけてくださって、すぐ意気投合して。それで私の2017年の「桃李の会」に来てくださったのよね。それも日本舞踊を始めた大きなきっかけだとおっしゃってくださって…
弥栄:花柳寿楽先生の奥様と私のお友達がお知り合いで、通わせていただくようになりました。私が喜優さんと合うと思ったのは、踊りの道を究めながらも、踊りだけでなく他のことにも目を向けて勉強もされているところがとても素敵だと思ったの。喜優さんはプロにありがちな「視界の狭さ」が、全く無かったのよね。
喜優: 弥栄さんは、JALの国際線ファーストクラスのCAのご経験がおありで、語学力も素晴らしくてね、英語が本当にきれいなの。
弥栄:母が1964年の東京オリンピックで英語のオペレーターをさせていただいた経験があり、オリンピックが終わってからも自宅で英語を教えていたので、母のお腹の中にいる時から英語は聞いていた感じです。
喜優:私と同じ感覚ね。
弥栄:そうそう。やはり小さい頃から始めるのはアドバンテージですよね。
喜優:英語に関しては本当にそう思う。
弥栄:いえいえ、踊りもそうですよ。笑 血筋というものは本当にすごいとものだと思います。
ディズニーランドができる2年前(1981年)に創設チームが日本に来て、その時にショーを作る脚本家の方がホテル住まいが嫌で、できれば2年間、英語が話せる家庭でホームステイをしたいとおっしゃったんですね。それで我が家にホームステイすることになって。でも来日した彼女は日本語を習う気がなくて、ずっと英語を話し続けていたので、こちらは自然と慣れていった感じで・・・それが初めてネイティブの人と長期間一緒に過ごした経験でした。
彼女がアメリカに戻ってからは、彼女が住むカリフォルニアに、高校から大学3年まで毎年夏休みは、短期留学に行っていました。
編集:英語は生まれる前から親しまれていたということですが、お母様からはどのような教育をされていたのでしょうか?厳しかった時などありましたか?
弥栄:母からの英語教育というのは全くなかったです。たまたま得意だっただけです。でも「話す・聞く」ことばかりが得意でしたので、文法が身についてなくて。JALを辞めてからアメリカとイギリスに行き、帰国して塾で英語を教えることになった時に、大学入試の英語でしたので文法を熟知しておくことは必須でした。教えるレベルになるまで、かなりの時間を費やして自分自身勉強し直しました。お金をいただいて教える以上「プロ」ですので、学生達から聞かれて「分からないから調べるね」とか「来週までに答えを用意するね」というのは、絶対にしてはいけないことで、何を聞かれても即答できなくてはプロではないと思いましたので、そういう自分になれるまで、半年くらいは寝る時間も惜しんで勉強していました。
喜優:JALは入る前から憧れはあったの?
弥栄:いえいえ・・・高校3年生までは宝塚に入りたくて、バレエや声楽を習っていました。どうしても娘役になりたくて。でも身長が166㎝になってしまって、当時の娘役には背が高すぎて、逆に男役にしてもトップを目指すには中途半端な身長で、合格してもトップスターになるのは厳しいと先生から言われてしまいました。宝塚御出身のその先生は、誠実にそのようにおっしゃってくださったのだと思います。そこですぐに「入れたとしても娘役ができないなら、もう宝塚はあきらめて大学受験しよう」と決めました。良くも悪くも、私は若い頃から決断が早かったものですから・・・それが高校3年の時。その時に、国際線で英語が使えるJALのCAになろうと決めました。
喜優:いつも思うけど、目標が明確よね。
弥栄:そうね、馬と同じで目の前にニンジンがあると、それに向かってひた走るというか・・・笑
喜優:笑 きちっと目標を作れるのよね。何をすればいいかわからないとか進路に悩まれる方は多いと思うのだけど。
編集:実は私も昔ミュージカルの舞台を目指していたのですけど挫折して、その後目標が定まらずにいろんなことをやってきてしまって今に至るという感じです。夢は諦めたもののなんとなく引きずっている人も多いとは思うのですが、荒井さんの中でミュージカルの世界というのはもう未練は全くないのでしょうか?
弥栄:舞台に立つことは好きです。3年前くらいに「細雪」という舞台があり、素人さんが一日だけ出演できるエキストラのオーディションに合格して出させていただきました。エキストラということもあって、全く緊張もせず楽しみました。
昨年の9月に、花柳寿楽社中お浚い会の「錦会」で、日舞の初舞台を国立大劇場で踏ませていただいた時も、全く緊張しませんでした。むしろ「ああ、ここは、私の居場所のひとつ」と思ったほどでした。ですから、舞台に立つのは私にとっては自然なことだと思うのです。
本業とすることは無理ですが、日舞ならば、まだ先々まで舞台に立てるかもしれないですしね。 舞台は、一回立つと病みつきになってしまうとおっしゃる方の気持ちが、よく分かります。
喜優:複数人で演じるお芝居と違って、日舞は基本一人で踊る、一人主役でやることも叶うわけだからね。
編集:本当にいつも思いますけど、一人芝居のお舞台だなと思います。
弥栄:出来あがるまでは大変ですけれど・・・笑
喜優:JAL、塾講師・校長時代を経て、弥栄さんは起業家でもいらっしゃるから、そこも尊敬するの。なかなかしようと思ってもできない事よね。
弥栄:塾では受験生に教えていたのですけれど、受験英語でなく、もっとダイレクトに社会に役に立つ英語を教えたいと思うようになって、エグゼクティブの方に「英語」プラス「ビジネスマナー」だったり、「英語」プラス「交渉術」を教える仕事をするために起業しました。
やっていくうちに、経営のこともわからないと経営者の方々と実践に沿った話ができないし教えられないと思ったので、大学院へ行ってMBAを取りました。そうしてエグゼクティブトレーナーと経営コンサルタントの仕事をしてきたのですが、今年初め、大きな転機が訪れて、自分を見つめる必要が出てきました。「何をしている時が、自分が自分らしく、元気で充実しているのだろう」と考えました。そうしたら、英語を教える事への情熱が自分の中では不変だと気が付いたのです。それまでもいろいろな方々に教えさせていただくことは続けておりましたので、「では、更に、どこで誰に?」と考えたのです。実績として、受験英語も企業のトップクラスの方への英語トレーニングも残してきたけれど、まだ経験がない事は….大学生への指導だと思ったのです。大学生はその後すぐ社会に出ていきますので、そういう彼ら彼女らのお役に立てないものかと….思い立ってすぐ探してみましたら、ちょうど求人が出ており、応募しました。実際に大学以外での社会での実務経験がある人が、大学で講師になることはまれだそうです。商学部の英語講師募集でしたので、実社会で様々なことを経験し、起業してビジネスをしてきた部分をとても評価していただき、他に優秀な方々が応募されていたにもかかわらず、私を採用してくださいました。9月から教えに行っておりますが、とても充実しています。
編集:実際に社会を知っている先生は、教育現場に必要だと思います。
弥栄:その大学にしてもすごいトライアルだったと思うのですが、是非にとおっしゃってくださって。
喜優:弥栄さんはもう気持ちが起こった時に、有言実行ですぐ行動できるのよね。
弥栄:良いのか悪いのか分からないけれど・・・決断も実行も早いのは昔からですね。笑
喜優:いいのよ。それでちゃんとご自身の道をつかんでいるのですからね。
着物・髪セットについて
編集:今日のお着物について、教えていただけますか?
弥栄:京都の祇園で170年続く老舗の「ぎをん 齋藤」さんのものです。舞妓さんや、芸妓さんも御用達のお店で、喜優さんもよくご存知よね。喜優さんが黒で来ると思ったから、合わせたいと思って黒にしました。
喜優:私も実は同じのを持っていて、絞りの模様のところが私はクリーム色なのね。弥栄さんとの対談だからどっちにしようと悩んでたんだけど、新春スペシャルなのでお正月らしいこちらにしました。
弥栄:双子コーデになれたのにね・・・笑
編集:いや、事前の打ち合わせなしで、お互い黒で揃えていらっしゃるのがスゴイですし、双子コーデのようですよ。
編集:お着物はどんなものがお好きですか?
弥栄:顔映りが良いものを選びます。薄いピンクや水色、黄色、もしくは黒。
喜優:弥栄さんのFacebookとか見ると、ホント華やかで素敵。
編集:その日に着る着物を選ぶ基準はありますか?天気とか気分とか。
弥栄:着物は、人が着てあげないとかわいそうだと思っています。袷や単衣や薄物と、着られる時期がそれぞれ限られますよね。だからそのシーズンの中で、できるだけそれぞれの着物に袖を通したいと思っています。風通しをする意味でもね。着ていないものがないようにすることを、先ず考えています。
喜優:ちゃんとお着物のこと考えていてエライ!私なんか全然だから笑
編集:そういえば「スチュワーデス物語」を見ていた世代にとって、CAさんが着物をトイレで着替えていたのを見た記憶がありますが、あれは本当なのでしょうか?
弥栄:はい、私が入社した当時はファーストクラスで着物サービスがありました。実際あの狭いトイレの中で着替えていましたけど、着物は二部式で上下に分かれているので、着用は楽です。帯も紐で結べばいいだけになっていて。
喜優:日本のおもてなしをしっかり出している時代でしたね。
編集:JALを辞められて、着物を着るようになったのは、お茶を始めてからですか?
弥栄:いいえ、まず着物が着たいと思って着付け教室に、4回だけ通いました。でもそこでは袋帯しか習わなかったので、名古屋帯は実は5年後くらいに動画を見て習得しました。だから、ずっと袋帯が楽だと思っていて、持っている帯も袋帯がほとんどなの。日舞のお稽古も御教室で着替えるのではなく、自宅からお着物を着て袋帯を結んで伺うので、舞台の時の楽屋着として、浴衣に半幅帯が必要となった時に、半幅帯の文庫結びが難しかったです。笑。
編集:えー!笑
喜優:そんなことってあるのね笑
編集:私自身も私のお仲間でも「着物は着たいんだけど、自分に合うものが最初は全然わからなかった」という人が多いのですが、最初から着たいものは決まっていましたか?
弥栄:決まっていました。色がきれいで顔映りがいい柔らかもの。紬は自分には似合わないし、着てみてしっくりこなかったので、柔らかものしか着ないです。 好みは変わってきましたし、似合わないものもわかってきましたね。 前は古典柄ではないものを着ていたのですが、年々古典柄が素敵だと思い始め、確実に好みは変わってきました。変わらないのは色に関してだけですね。色だけは一貫して綺麗な色目が好きです。
喜優:わかる。私もそう。
弥栄:喜優さん、黒を着ていても必ずきれいな色が入っていますよね。今日の組み合わせも、とても可愛い。
喜優:お正月だから宝づくしにしました。
弥栄:自分に似合わないものもはっきりわかっているので、ミスはないですよね。それからなんとなく着物屋さんに行くというのもない。必要なものがあれば、その時に買うという感じです。だから今日のも齋藤さんとメールで「こういったものが必要なの」と依頼して、実物は見ないで購入しました。
喜優:ホント目的が明確でカッコいいよね。
弥栄:齋藤さんだから、ある程度こちらのこともわかってくれているので、出来る事なのですが・・・。お仕立ても素晴らしいし。
編集:ウィンドウショッピングとかはありえないってことですね。
弥栄:まったく興味ないですね・・・笑。 日用品も通販です。
弥栄:ずっと4年くらい美容室に通って和髪にセットしていただいていたのですが、ある時「これならば自分でできるのでは」と思って、家でやってみたら出来たのね。
喜優:上手よね。自分でできると時間の短縮にもなるからいいわよね。
編集:何か参考にされたものとかあるのですか?
弥栄:美容室でやっていただいている時に、じーっと見ていました。笑。あとネットで動画も見たりして。元々CA時代の時にまとめ髪はしていたので、髪の毛を扱うのは結構得意で・・・。
喜優:そうかぁ、確かにそうですね!
【前編 終わり】
お話されている時はとても上品で柔らかい印象なのですが、迷いがなくブレずに決めたことは必ずやり遂げる、とても筋の通ったカッコいい方であるのが伺えました。
後編は、日本舞踊のこと、これから先やってみたいこと、そして大学生に教えている今、若者に必要なことなど、またとても深いお話が伺えました。
ぜひ後編もご覧ください。
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